村山槐多

NHK Eテレ 日曜美術館「火だるま槐多~村山槐多の絵と詩~」(6月23日放送分)をじっくり繰り返し視聴。

結核性肺炎の上、スペイン風邪に罹患、せん妄状態となり、22歳の若さで夭折した画家・詩人。没後100年、最近、未公開作品も100点以上発見された。
鮎川哲也編『怪奇探偵小説集1』(ハルキ文庫)に『悪魔の舌』が収載され、『開運!なんでも鑑定団』で絵が高額であったことから興味を持った。
京都一中卒業後、酒に溺れ、ボードレールやランボーを読み耽り、退廃的な生活を送る。
しかし、絵は勢い、素早さ、力強さを恐ろしいくらいに感じるタッチ。詩はあからさまに感情をストレートに現したもの。

「遺書」より
自分は、自分の心と、肉体との傾向が著しくデカダンスの色を帯びて居る事を十五、六歳から気付いて居ました。
 私は落ちていく事がその命でありました。
 是は恐ろしい血統の宿命です。
 肺病は最後の段階です。
 宿命的に、下へ下へと行く者を、引き上げよう、引き上げようとして下すつた小杉さん、鼎さん其の他の知人友人に私は感謝します。
 たとへ此の生が、小生の罪でないにしろ、私は地獄へ陥ちるでせう。最低の地獄にまで。さらば。 
      
「第2の遺書」より
神さま、私はもうこのみにくさにつかれました。
 涙はかれました。私をこのみにくさから離して下さいまし。地獄の暗に私を投げ入れて下さいまし。死を心からお願いするのです。

こういう破滅的な生き方に憧れ、詩人にも憧れるが、到底なれない。
「金持ちの家に生まれていたら考古学者、頭がよく生まれていたら法曹。中途半端に生まれ落ちたので医師になった」と言って、親や周囲をげんなりさせていたものだが、本当になりたかったのは退廃的な詩人。考古学者や法曹にはまだなれるチャンスはあると思っていたが、芸術的才能は皆無なので、詩人になりたいとは、冗談にも言えない。
医師は症例報告、学会発表、論文など、文章を書く機会が多く、性格的に記録魔なので、日記など日々記録をつけており、文章を書くことは好きだが、散文詩すら書くことはできない。
バイロンやランボーの詩集を、私も槐多同様、15、6歳時に読み耽ったものだが、根性が据わっておらず、モリエールの戯曲ではないが、いやいやながら医師になった。
やりたいこととできることが違うことは重々承知してるし、いやいや医師になって30年、ようやく、やりたいことが可能なだけの収入は得られるようになった。
せねばならないことはこなしているし、代わりがいないとは言わないが、社会には貢献しているつもり。ただし、何かものを生み出しているわけではなく、他人のトラブルが前提の職業であり、ここ5年は毎年何十人もの死者を見送ることが仕事の主体になっているだけに、なおさら心中は複雑。
墓碑銘には、ヨーゼフ2世に倣って「よき意志を持ちながら、何事も果たさざる人、ここに眠る」と刻んでもらおう。
7月15日までには、おかざき世界子ども美術博物館で開催されている「没後100年 岡崎が生んだ天才 村山槐多展」に行かなくては。

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